山田唄の暗部

ひたすら山田唄のモヤモヤを投げかけていく雑記

「論理」

 こんにちは。最近、ツイッターで「天才プログラマーのブログ」がトレンドに上がっていました。今回はそれを読んで感じたことと、そこから派生した二義的な気持ちの話。

 

 現物を読みたい方はツイッターで検索して頂ければいいかなと思うのですが、大体そのブログとは、自分はプログラマーであるが、論理的にプログラムを組んでいるのではなく極直感的なプログラミングをしている事に気づいた、そもそも人は直感的に物事を判断する事に優れており、その上澄みに理論を乗っけているだけに過ぎない、つまり、直感的に物事を理解したほうがより大きな能力を発揮できるはずだ、といったような文面でした。

 大体これに関しては肯定も否定も無く、ただ読み物として「なるほどな」と思ったのですが、そのブログにも、ブログを取り上げたツイートにもたくさんの肯定意見と否定意見がついており、またこの点が私が特にイラッと来た点なのですが、ほとんどの意見が論理的ではありませんでした。

 

 今回はこのブログの内容が正しい、正しく無いという視点では論じません。

 とりあえず私が論理的でない意見にイラッとした理由は、単純に根拠もないのにヒトの意見を肯定または否定しているそれらの論者に反発を覚えたからだ、と思っていました。

 

 しかし、そのまま幾日か過ごしてみた感じ、私はただ単に「論理的でない意見」というものに須らくイラッとするような思考状態である、と気づきました。

 

 

 論理的でない意見とは、論争の中心にあるようなものだけでなく、例えばツイッターで良く見られるような感情をそのままに叩きつけた啓発文であるとか、何の意味もないウケたいだけのツイートなども含みます。

 要するに、「ああこの人頭が悪いな」と思うと、私はイラッとするんだと気づいたんですね。

 

 それに気づくと同時に、さて自分は頭が良いのだろうか、とも思いました。少し前に聴いた、IQの差が一定以上ある人同士では会話が成り立たず、両者にとってストレスになる、という話を思い出したわけです。私は彼ら「頭の悪い発言をする」人達よりもIQが一定以上高く、だからこそその発言が真に理解出来ず苛々しているのだろうか? と。

 

 その時点ではまあ、答えは出ない訳です。専門機関で正しい測定法で測らなければ、正確なIQなど解りませんし、そもそもIQというもので「頭の良さ」を測る、という理屈にも私はぶっちゃけイラッとします。頭の良さにもさまざまな性質があると思っているし、一義的に数値化できるものではないと思っている。

 

 では、私が思う「頭の悪い意見」というものの本質はなんなのか?

 

 

 私がこちらでお世話になっている方のブログを拝見していても、自分はイラッとする時としない時があります。もっと言うなら、大体イラッとする記事を書く人は決まっているので、そうしたブログには読者にならないようにしている。

 で、読者になっているブログを見回すと、大体が論理的な口調で冷静に語る人ばかりである、という事が解りました。

 

 

 結局、私は論理的でない意見に、直感的に反発を覚えているだけに過ぎないのではないか、という結論に至りましたね。要は、自分は「無駄」を排除したいのかもしれません。感情のもつれとか、善悪とか、価値観の違いとか、とにかくそういうモノに煩わされているのが嫌でしょうがない。万人に響く言葉で万人に解りやすいように書かれたものしか肯定的に捉えられない。

 

 まあ、これが解った時に軽く自分に絶望したわけですが、その反面、自分が何を地雷と感じるか、という点も見えてきました。だったらそれに近づかないように過ごせばいいじゃないか、と思ったんですね。

 

 今回はそれだけのお話でございました。なんというか、表だってこういう思考の話をするとそれこそ肯定的に取られたり否定的に取られたりして自分が疲弊するだけなので、こちらに留めておこうと思います。

 今回はこの辺りで。