山田唄の暗部

ひたすら山田唄のモヤモヤを投げかけていく雑記

「幸せ」

 こんにちは。メインのブログのほうでは繰り返し語っていますが、またぼちぼち自分も停滞期に差し掛かって来ました。そんな時に、十七歳という若さで画家として活躍し、絵画教室や個展なども手掛けていらっしゃる方とツイッターで繋がり、つくづく自分とはなんだろうと考えあぐねております。

 今日はそんなモヤモヤに関する話題。

 

 「才能」が個々で様々である以上、それが昇華された「成功」の形も個人個人其々違うものとなるはずです。しかし現代ではネットのSNSという形で「成功」が強く可視化される状態となり、みんながその「成功」を目指して成功者と同じ努力をする。

 私も若い時はそうでした。

 

 二十代の頃、私は絵の仕事を目指して毎日十時間以上絵を描き続けていた訳ですが、その時は気付いていませんでした、自分が仕事で描きたくもない絵を描く事に根本的に苦痛を感じる性分である、という事に。

 現在は思い知っているのですが、私は「仕事」は仕事として割り切り、やりたい事とは別に置いておくのが性に合っている。一番好きな事を仕事にすると辛い、というアレですね、まああの言葉も人によってそれぞれな訳ですが、私には合致していたと言う事なのでしょう。

 

 

 人が幸せになるに当り、「自分が何に幸せを感じるか」を知っておくことは非常に重要だと考えています。そして、一番大切なのはその幸せを他人と比べない事である。

 

 繰り返してきたように、幸せの形は人それぞれなので、他人の幸せを妬み羨み、その後追いをするという行為は率直に言って時間の無駄です。人間には適性があり、またその適正からくる幸せの重みが其々違います。

 現代に於いて繰り返し語られるようになった、「結婚して子どもを作ってマイホームを買う事だけが幸せの形ではない」というのもその一端ですね。

 

 まあそんな訳で、私も自分の幸せとはなんだろうと昔から熟考してきたわけですが、どうしても他人が羨ましくなる。華々しい世界できらびやかな活躍をしている人が妬ましい、自分はどうしてそう成れなかったのかと思う。

 

 こうして思考の「檻」にハマってしまい、結局は自分の幸せの芽を摘んできたわけです。

 

 

 ぶっちゃけ、「幸せとは何か」という問いに対しての単純な解は、「自分が幸せと感じられる状況に居る事」であり、その限り「幸せ」とは「なんか心地よい」と感じる脳の状態と定義出来ます。科学的につまびらかにしてしまえば、幸せとは脳が快楽を感じる物質を出している状態と言うだけの、単なる錯覚であると言えると思います。

 結果として、自分を幸せにするのは「自分は幸せだ」と強く信じる心であり、不幸にするのは「自分は不幸だ」と強く信じる心です。

 結局、心の在り方の状態変化に過ぎないのですよね。

 

 まあそんなに簡単に割り切れないのが人なのですが、例えば周囲から見て明らかに不幸な生い立ちと環境に居ながら、幸せに見える人もいるでしょう。そう言う人は「自分を幸せに導く心の在り方」を実践しており、その人にとっては周りから押し付けられた価値観など二の次なのです。

 私もそういうあり方で居たいと思いますね。

 

 偶にどうしても嫉妬に襲われますけれど、都度こうしてちゃんと理屈で考えて線を引いて行きたいものです。

 

 今回はこの辺りで。