山田唄の暗部

ひたすら山田唄のモヤモヤを投げかけていく雑記

「才能」

 こんにちは。最近、仕事がテレワークとなり、一日のリズムが変わった事で生活リズムが崩れてしまっており、今日も深夜に目が覚めて眠れなくなりました。そのまま起きているのですが、やはりというか普段と比べて作業能率が非常に落ちますね。

 

 さて、今回もこの所もやもやっと考えていたことを吐き出そうかと思います。「才能」について。

 

 どんな界隈でもそうかと思うのですが、絵の世界でも昔から「絵は才能か、努力か」といったような議論が尽くされてきました。こういう時私が思うのは、なぜ二極あるうちの一方しか信じずに、両方が介在している可能性を考えないのかという事なのですが…。

 まあそんな訳で、私としては絵は勿論努力しなければ上手くはならないけれど、才能の点でスタートラインや成長速度に差がある、という考え方をしています。

 

 で、まあ自分が才能あふれるタイプかと言えば、やはりそうとは言えない。昔から割と手先が器用で要領もよく、理解度も高い人間でした。そういう所から何をやってもそこそこの成績を納められるのですが、てっぺんに届くかといえばそうでは無い。

 言うなれば才能と言うものにも種類と分類が存在し、私の才能は学んだことが人よりも身につくという程度の、プライオリティで言えば極低い物でしかないのですよね。

 

 なので、絵を始めた当初から自分は「才能がない」「成長が遅い」「向いてない」と言われ続けてきました。そりゃ理解しています、例えば絵に特化した才能と言う物も幾らでも存在し、それらを持って生まれた人が絵に活路を見出せば恐ろしい速度で伸びて行くのは想像に難くない。

 例えるなら、兎は走るのが早いけれども、水の中では魚には決して敵わないといった所です。あれらは「泳ぐために」進化した素材であり、泳ぐことに特化した才能を持っている。そういうプライオリティの高い才能に勝つには、基本誰よりも努力するしかありません。

 

 で、私も十年間努力し続けてようやくこのラインです。人よりもよほど頑張ってきたと思っている。それでもプライオリティの高い才能を持ち、自分と同じくらい努力して来ている人もそりゃ幾らでもいる。そう言う人にはどうしても勝てない。

 

 

 なんだか最近、才能が低いが故の限界を感じるんですよね。優劣がはっきりつく世の中において、自分が今まで才能の無さを自覚せぬまま頑張ってこられたのは僥倖と言うほかない。しかし、いい加減それが露呈してきた。

 更にあと十年頑張れば、とも思うのですが、その頃には自分はもう四十代です。途方もないな、と。

 

 最終的に愚痴でした。

 今回はこの辺りで。